北九州市旧大阪商船
門司港駅前目前の港町に建つ旧大阪商船は、かつては国際的な港のターミナルとして門司港と国外とを結んだ、国内有数の重要拠点でした。大正期の建築技法が光る建物は、名建築としても有名です。
門司港から国外へと渡る
数多の客船を迎えたターミナル
日本で文明・文化が目覚ましく飛躍した大正時代、大陸航路の一大拠点であった門司港は、石炭、米、麦、麦粉、硫黄の特別輸出港指定をきっかけに、1935(昭和10)年にかけ、その栄華を極めます。そのだだなかである1917(大正6)年、当時、鉄道と海運のつなぎ目である要地に建てられたのが、最盛時は世界で第8位の規模を誇った海運会社「大阪商船 」門司支店でした。日清戦争後は、朝鮮や台湾、のちに大連や中国大陸への航路の拠点となった大阪商船。ここから、客船を心待ちにしていた多くの人々が、国外へと向けて旅立ちました。当時、建物の港側には海が接していて、目前には桟橋がかかり、船が横付けされていました。
大正モダンの粋を凝らした
街と港のランドマーク
大阪の建築士の草分けと言われた河合幾次による設計の建物は、東京駅などに代表される、日本近代建築の父・辰野金吾による「辰野式フリークラシック」が、ドイツ・オーストリアで花開いた「ゼツェシオン様式」に近づいたものとして知られる、名建築の一つです。オレンジ色のタイルに白い花崗岩を装飾的に配した華やかなデザインのほか、屋上部に見られる手すりのような装飾「パラペット」、採光や通気のため設えられた屋根上の小窓「ドーマー」など、西洋建築技法の粋を随所に散りばめた姿からは、大正モダンの息吹を受け取ることができます。また、八角のガラス張りの塔屋は、当時は門司で最も高い建物であり、街のランドマークでした。
夜は灯台としての役割も果たし、港を訪れた多くの人々を迎えました。
大正期と現代をつなぐ
“歴史の桟橋”として
港のターミナルとして国内外の人々が行き交った大阪商船は当時、1階は待合室と税関の事務所、2階はオフィス、3階は電話交換室や倉庫などとして使用され大いに賑わいましたが、昭和39(1964)年に大阪商船と三井船舶が合併したことで、建物は「商船三井ビル」に呼び名が変わりました。そして1991(平成3)年の市有化以降は、修復ののち芸術や文化の発信地として生まれ変わりました。
現在は、1階に北九州市出身の漫画家・わたせせいぞう氏のギャラリー「わたせせいぞうギャラリー」、門司港で活動している作家を中心とした作品を展示する「門司港デザインハウス」、「焼きバナナのハニートースト」が看板メニューの「カフェ・マチエール」、2階には貸ホール「海峡ロマンホール」を構え、大正期と現代をつなぐ“歴史の桟橋”となっています。