大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)
北九州市と中国・大連市の友好都市締結15周年を記念して建てられた、門司と大連の両港を結ぶ長い交易の歴史を象徴する施設です。
大連市に建築された鉄道汽船会社の建物がモデルになっています。
日中友好のシンボル
大連市の名建築を複製
1889(明治22)年、門司港が国の特別輸出港に指定されたことにより世界各国との交易が始まり、大陸航路の一大拠点であった門司港は、大連や中国大陸への航路の拠点でもありました。1979(昭和54)に北九州市と大連市は友好都市を締結します。
締結15周年の1994(平成6)年、両市の長い交易の歴史を門司港地区の街づくりに生かし、友好のシンボルとするために建てられたのが大連友好記念館(当時は国際友好記念図書館)です。モデルになったのは大連市の「東清鉄道汽船会社事務所」。
ロシア統治下でドイツの建築家により建設された、学術的にも重要な建物です。
日本統治下では「旧日本橋図書館」として利用されていました。
現地のレンガや石材を使った建物が門司港レトロ地区の一角を華やかに彩っています。
限りなく本物に近いものを
現地生産と日中交流へのこだわり
実はこの建物、設計図も立面図も残っておらず、手がかりになるのは正面写真だけでした。厳密な現地調査が重ねられ、4年7ヶ月の歳月を経て建設されたのです。
また、レンガや石材は建設当時、現地では生産されていませんでした。しかし「複製のグレードを落とすわけにはいかない」と大連市の工場を訪れた際に、開発研究のために焼かれていた堅いレンガを偶然目にし、製造が実現したのです。現地で焼かれた約十万個のレンガのうち選び抜かれた45000個が船で運ばれてきました。
さらに石に関しても、現地の135戸の兼業農家が零下20度近い庭先でこつこつ削った約5000個のみかげ石が使われています。
現地生産にこだわるのは大変な労力ではありましたが、より本物に近いものを作ることに意味があり、友好記念のシンボルだからこそ、建設過程における中国との密な交流を重んじたのです。
図書館から観光施設へ
人々の憩いの場に
1995(平成7)年にオープンした当時は「国際友好記念図書館」との名称で、2階は中国や東アジアの文献を収蔵した図書館、3階は資料展示室になっていました。日本統治下では図書館として利用されていた歴史を物語っています。
1階は当初から大連市の業者直営の中華料理レストラン『大連あかしあ』が入っています。2018(平成30)年に図書館から観光施設へと移管されてからは、2階は誰でも自由に休憩ができる「門司港レトロ交流スペース」と友好都市大連の様々な情報を発信する「大連市紹介コーナー」、3階は地元まちづくり団体等の活動の場「地域コミュニケーションスペース」となっています。